fc2ブログ

松浦宮物語。。。。主語の考え方(補足)

2006-12-10 (Sun) 00:07[ 編集 ]

昨日の高3古文の授業で主語の変化が理解しがたいという質問があったので
ちと解説します。第9講『松浦宮物語』解題の最後8行です。


 明けはてぬ先にと急ぎ帰れど、巳の時ばかりにぞうちやすみ
たまへど、身には心もそはずながめられて、「さらにいみじき心
の乱れも出で来ぬべきかな」と心一つにのみぞ思ひくだくる。
 


〔氏忠が公主に促されて思いを引きずったまま宮中を後にします。夜が明ける前に
と急いで帰るが、午前十時ごろ床につかれたものの、体に心
が伴わないような状態
で物思いしている。そして「いっそうひどい心の乱れも出てきそうだ」とそんなことだけ
に心を痛めている

    
…ここは「氏忠」がもちろん主体。
 
 
 今宵は便なげにのたまひつれど、

〔今晩は不都合なことがなさげに、おっしゃっていたけれど〕
    …「公主」が主体。
 
 
 甲斐なきながら、おはすらむさまをもいかで見むと思へど、

〔(行っても)無駄だろうが、(公主)がいらっしゃる様子を何とかして見たいと思う
けれど〕
    …「氏忠」が主体。前の文の公主を意識してここではあえて
            対照の意味合いで敬語を使ってないことに注意する。


 
 帝、月の宴したまひて、夜もすがらあそび明かしたまふ。
次の日も暇許されず、まつはし暮らさせたまふ。


〔帝は月見の宴をなさるので、(公主)は一晩中琴を奏でて夜をお明しになる。
次の日も暇を許されず、帝の側にあって暮れまでお側におられ
る〕
    …「公主」が主体『明かしたまふ』と『暮らさせたまふ』の『たまふ』の
           敬意の対象が設問になっているがどちらも「公主」に対する敬意とし
ない
           と早稲田大学
の設問が設問として成立しないことになる。また
           「あそぶ」の主体は公主が琴の名手だと考えれば納得いく

     
      「て」の前後では主語は変わらないという 一般的な
      「ルール」に対する警鐘の意味合いを持たせた設問
     
だろう。
  
あくまでも文脈に即して論理的に妥当な解釈を心が
      ける
べきである。
 

 雨いみじく降りて心細き旅寝も、いまさらに面影そへるは、
げにあぢきなき身の思ひなり。
 
  知らざりし思ひを旅の身にそへて
              いとど露けき夜の雨かな
 
  
〔雨が激しく降り心細い(異国の)旅寝にも、ことさらに恋しい人の面影が浮かぶ
のは、まことに悩みの多い我が身の上である。〈知らざりし……=今まで知らな
かった思いを旅の身に味わって涙でいよいよしめっぽい夜の雨であるよ〉〕     
                                  (『松浦宮物語』に拠る)

次回の「閑居友」は「九相」についての記述なのでおもしろいよ。「九相」の絵を
グーグルででも調べてみてくれ。無常は無情と心得たり。ということになるかも。

コメント

主語が異なるのは、『―て』が『(て)・・・』の理由を表わしていたり、『―て』と『(て)・・・』が逆接の関係のときが多くないですか?

TO: Y良san

するどいご指摘です。この例文の場合はそうですね。理由の場合に主語の変化は起きやすいですね。また。敬語+て、。。。敬語無し。の場合も主語は変化します。
頑張ってください。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://itto2006.blog48.fc2.com/tb.php/22-07411a2a