豊見里林泰 合格体験記

2017-04-04 (Tue) 13:53[ 編集 ]
林泰


九州大学法学部に合格することができました、昭和薬科大学附属高校の豊見里林泰です。長くて苦しくて面白いことなど一つもない受験戦争を合格という形で締めくくることができて、心の底からほっとしています。世になかには受験においての良い勉強法などは山ほどありますので、私はほかのことを書こうかとおもいます。

 受験戦争を振り返ってみてまず一番に思うことは、進路決定及び志望校決定は慎重にすべきということです。
私は高1の文理選択では、周りは理系が多いからという愚直な理由から理系コースを選択しましたが、進路について真面目に考え直し、高2の5月の時点で文転することを決めました。
本当に高2での化学や物理、数Ⅲの授業は無意味でしたので、文理決定は慎重にしましょう。

次に志望校決定です。私は高2の終わりに、一橋大学を第一志望にすることに決めました。その理由は、難しい大学を志望して勉強していればそこそこの大学を合格するレベルには達しているだろうという安易な企みによるものでした。しかし一橋大学のセンター圧縮率、二次試験のクセは本当に独特なものでしかも全教科難易度が非常に高いです。
当然学力は間に合うはずがなく、センター後に志望校を九大に変え、二次試験の質と内容の大きな違いを目の当たりにしたときは「終わった…」と思いました。どうにか前期試験までには間に合い首の皮一枚でつながりましたが、こんなぎりぎりで不安定な受験の仕方は絶対避けたほうがいいので、志望校選びはよく考えてやりましょう。

 精神面で勝つこともとても重要だと思います。私の周りには受験生であるのにもかかわらず全く危機感のない輩がたくさんいました。センター直前なのにみんなで飯を食いに行ったり、前期試験前だというのに体育館で遊びまくったり、受験生だというのにネトゲに夢中だったり…。あげればきりがありません。正直それに流されそうになったことも何度かありましたが、浪人は何としてでも避けたいという危機感から何とか打ち勝つことができました。もちろん息抜きは多少は必要ですが、常に危機感を持って受験に臨みましょう。

 私が思う苦手教科の対策法は、その科目を好きになることだと思います。高3の4月のころ、私は数学が死ぬほど苦手でした。ベクトルの内積も出せないほどでした。しかし学校の授業や岡本先生の授業をうけるうちに数学の面白さに気づき、苦手意識が消え、得点源にまですることができました。また、私は文系だというのに国語が最もできませんでした。しかし敢えて苦手意識を持つことなく、古文とかは楽しく読むようにしていました。自分をだましてでもその教科をすきだと思うことで、少しだけ国語ができるように感じました。

 次に言いたいことは、本当にありきたりのことなのですが、受験は何が起こるかわからないということです。
予期せぬことが起こります。出題形式がいきなり変わることなんて当たり前です。私の場合、二次試験の国語のときに全く設定などしていないはずの腕時計のタイマーがなるというヤバい現象が起きました。こういった場合腕時計は没収されるので、時間配分が非常に重要な国語でそんなことされるとひとたまりもありません。そのときは浪人生活が頭をよぎりましたが、幸い試験官が寝ていたので気づかれずに済みました。そのほか、私の先輩で、試験の一日目で得点源であるはずの数学で大失敗して、二日目で挽回し、合格点最低点プラス0.1点で受かった先輩もいます。このように受験というものは最後の最後まで何が起こるかわからないので、最後の最後まで油断せず、あきらめないで平常心で臨むことが大切だと思います。

 全く後輩へのアドバイスになってない合格体験記ですが、読んでくれたら幸いです。最後に、ここまで支えてくれた両親や上江洲先生、岡本先生、本当にありがとうございました。

徳嶺才登 合格体験記 

2017-03-29 (Wed) 22:28[ 編集 ]
サイト



私は、昭和薬科大学附属高等学校を今年卒業した徳嶺才登です。
神奈川歯科大学歯学部歯学科に合格しました。

僕のこれまでの学生時代について書こうと思います。
中学受験で燃え尽きていた僕は、中学2年生ごろから勉強に全く意欲が湧かず、
勉強をほとんどしないで遊んでいました。
そのため、成績はどんどん下がる一方で・・・・。
そのまま高校生になり、相変わらず勉強もほとんどしないまま、
単位と闘いながら過ごしていました。(笑)
このとき、学校の先生が言っていた、
「受験を意識した人たちはもう勉強を始めている。
そうでない人も遅くて高2になったら皆大体勉強をし始める。」
というセリフに甘えていました。

そうやって高2に無事進級したのもつかの間・・・。
ある事件が起きました。
僕は家を飛び出し、名護で二か月も1人で放浪したのです。(笑)
事の発端は、自分の進路について親ともめたことでした。
僕は幼いころから母に将来について、
「医者になってみたら?」
みたいなことをよく言われていました。
しかし正直、医者に興味がありませんでした。
どちらかといえば、
コンピューターを使ったエンジニア系の仕事に興味を持っていました。
その旨を母に話しましたが、母は否定的でした。
そのあとから、
自分が将来何になるのか、
そもそも何がしたいのか、
と考え始め、何を思ったのか自分探しの旅に出たのです。(笑)
名護のことまで話すとあまりにも長くなるので名護でのことを簡潔に書きます。

市街でバイトをしながら、地元の人と仲良くなって、
その方の家で休ませてもらっていました。

しばらくして、僕が家に帰ろうと思ったのは、学校の先生と友達のおかげです。
当時の担任は僕の安否確認のためにしきりに連絡を取っていました。
友達からは心配するLINEが何件かきました。
僕は、
「このまま名護にいても仕方がない。とりあえず帰ってからもう一度考えよう。」
と思って那覇に戻り、10月1日から学校に通うことにしました。
それからは何事もなく・・・、とはいきませんでした。(笑)
相変わらず進路について悩み、一時期は
「将来の夢もないのに高い金払って学校を行く理由もないから辞めよう」
と思ったこともありました。
ですが、そんな僕に対して手を差し伸べたのが上江洲先生でした。
高2の初めのころからアゴラには通っていましたが、
僕のあの名護事件以降、先生とは連絡を取っていませんでした。
それなのに先生はいきなり僕に連絡を下さり、僕の精神面や進路の色々な情報について、
色々サポートしてくださいました。
そのおかげで僕は歯学の道に進むことに決めました。
もし先生がここまでしてくださらなかったら、今の僕はないだろうなぁ、
とつくづく思っています。本当にありがとうございます。
それと、母に関してですが、
今思えば僕のことを思って色々心配だっただろうなぁと思っています
あの時はまだ反抗期が続いていたのかな?(笑)

最後に、これから受験をする皆さんへ。
安里泰貴君の合格体験記にも書いてありましたが、受験は本当につらいです。
色々悩むこともあると思いますが、そういう時は僕みたいに奇行(?)をせずに、
誰かに相談してください。(笑)
本当にベタな言葉ですが、諦めずにやれば結果は出ます。
でも、たまには少し息抜きしてくださいね。
体壊しちゃうと話になりませんよ(笑)
それでは!皆さんの合格を心から願っています。




奥山奈津子 合格体験記 

2017-03-26 (Sun) 14:36[ 編集 ]
なつこ


昭和薬科大学附属高校3年の奥山奈津子です。
琉球大学医学部医学科に合格しました。

私は前期も琉球大学医学部医学科を受験しましたが落ちてしまいました。センターも85%しかとってなかったので前期が勝負だとおもってセンターおわったあとから頑張ってましたがダメでした。後期は倍率が15倍くらいだったのでもうムリかなと思っててかなり息抜きしてしまったけど、気持ちだけは諦めなかったです。英語は好きだったので小論がんばろうとおもって医歯薬系の英単語を主に覚えました。あとじぶんは、面接はあまり圧迫を感じない人だったので前期のために対策してたやつでそのまま後期もいどみました。
まわりのお友達がたくさん受かっていってたのでちょっと悲しかったですけど、後期に合格できてとってもよかったです!!



自分は高3までテニス部にはいってて、学校の練習はあんまりいってなかったけど笑、スクールに通ってたので疲れて寝てしまうこともたくさんありました。自分に弱いのですぐ寝ちゃうから、テスト期間とかは寝てしまってしょっちゅう後悔することばっかでした。笑 でもそういうときはやっぱり眠気とたたかいながら頑張るよりは寝てから気持ちをきりかえて勉強するのがやっぱりいいのかなーって今は思います。
あと自分はほんとに自分にあまくてお家でお勉強できる人じゃなくて、お家帰ったらテレビみたりダラダラしてること多かったんですけど、そーゆータイプのひとは塾にいてまわりの人が勉強してるからやらなきゃ!って気持ちの時に自分のやることをおわらしちゃえばそれでいいと思います。



岡本さんの数学はたまに難しすぎてついていけなかったけど、二次試験のためにとってもためになったとおもいます。復習をしっかりして岡本さんの授業についていけたら数学は大丈夫だと思います。

座波さんの英語は高2の頃に受けはじめて高3の先輩方と一緒に授業を受けていたので、先輩方からも刺激を受けながら授業ができてとてもためになったとおもいます。高3になってからは個別でやってました。英作とかの添削をしてもらってとても役立ちました。

上江洲さんは、授業はなかったけど進路の話とか面接の練習とかをしてくれてとても助かりました。自分は後期のギリギリでうかってると思うので面接は満点近くとれてると思うので、感謝してます。


アゴラは少人数で自習室とかも他の人がやってるから自分も勉強しなきゃっていう気持ちもあるし、その中でいろいろ自由で自分にとってすごいやりやすい環境でした。お友達とお話したりするのも楽しくてみんなで高め合えたと思います。
ほんとうに、今までいろんな面で支えてくれた家族、友達、先生方、後輩たちにとても感謝したいです。ほんとうにありがとうございましたm(_ _)m



安里泰貴 合格体験記

2017-03-10 (Fri) 10:33[ 編集 ]
泰貴


私は、沖縄県立開邦高校出身の安里泰貴です。
神戸大学法学部法学科に現役合格しました。

簡潔にですが、「現代文」という分野について書きます。
上江洲さんのおかげで私は、「現代文」への取り組み方を学ぶことができました。
そこで、個別指導を通して得たことを少々、、、。

現代文への取り組み方で大切なことは4つあります。(記述がメインだが、マークでも重要)

1:筆者が人間ということの前提意識
2:筆者の主張を明確に判断すること
3:設問者の存在の認識と善意ある作問
4:文章化された答案の記述

順を追って説明します。

まず1ですが、愚問ですみません笑
しかし、
大前提にこのことがあると認識して初めて、2の内容へと繋がります。

我々は意見を述べる時、段階を踏んで意見を述べます。
話は逸れますが、日本語というのは、後ろに行けば行くほど主張を述べますが、
英語では先に主張します。英作文なんかでは意識するポイントです。
つまり、評論文においての主張というのは大抵文の最後にあります。
また、我々は、具体例を用いることで主張したい内容をより相手に伝えやすくします。
ここまでは、現実社会での話。

では、評論文ではどうなんでしょう?まぁ、大抵基本的には同じです。
考えてみれば、筆者も日本人ですしね。
このことを意識すると、
文章をただ字面のみ追う解き方は、ナンセンスということになります。
もちろん、頭の中で筆者の主張を想像してはダメです。
なぜなら、筆者は既に、本文に自身の主張の根拠をちりばめているわけですから。
具体例って大事なんです。だから、筆者の主張を明確な根拠をもって判断しなければなりません。
これらが、1と2の説明です。

次に3です。筆者はあくまで筆者なので、設問を作っている人と区別されます。
では、設問者はなぜそこに傍線やら破線をひくのでしょうか?
これは、上江洲さんが個別指導でよく私に投げかけていた質問でした。
「受験生への嫌がらせ?」それとも「適当に?」・・・。
このことって普段まったく意識しないことだから、私は頭抱えてばっかりでした笑
もちろん、設問者のみが知る答えなんですが、
きっと「善意」があってこその、受験生への投げかけであると捉えるべきでしょうと教えてもらいました。

「ここまでの文の中での筆者の主張を、受験生の諸君は分かっているかな?」的なね。
もしそうであると仮定した時、
ただ傍線部付近の文字を埋めているだけの受験生は、
本当に筆者の主張を理解していると読み取れますかね?
私なら、「そんな子は読めていない」という烙印を押しますね。(偉そうにごめんね。でも、もう受験生卒業したから偉そうにさせて笑笑)でもまぁ、文字埋めるだけで答えと捉える大学もあるかもしれませんがね。

つまり私が言いたいことは、
設問者はもちろん何かしらの意図があるからそこに傍線部を引くのであり、
少なからず、本文理解へのアプローチということです。


次に4です。これは、まぁ見落としてますね。
自分の解答をまじまじと見ることありませんしね。
でも、一応、記述の解答ということは、受験生の国語力(どちらかというと、文章作成力?)を見てます。
これは、特に何か対策とかはないですが、一回書いた自分の解答をもう一度読み直すということをしてみてもいいと思います。
主語と述語の関係とか、接続詞とか、あと誤字脱字。
とりあえず、日本語として成立する解答をしないと、たとえどんなに要素を捉えていても、一発でアウトです。

以上が、私が神大入試本番まで気をつけていたことです。
一応、先に伝えておきますが、私は、国語大の苦手でした恥笑 上江洲さんに感謝です。でも、受験生でここまでのこと意識してる人いないと思います。(と信じたいです)特に理系の方。


ちょっと脱線します。理系志望の方って、基本国語勉強してないと思います笑
現に私も高3になる前まで理系でしたのでちょっとだけ分かります笑 理系の端くれです笑
でも、理系「だからこそ」国語大切ですよ!!受験で考えた時、理系で国語強い人は本当につよいです。

例えば、センター試験で、理系なのに国語8割取れたら、もう最強です。
私の周りの友人(ごめん!!勝手に話して笑)は、理系科目完璧でも国語で苦労してる人大勢いました。

しかも、それ、現代文分野でつまづく人が多かったです。
古漢は記憶力とかみたいな感じだけど、現代文は暗記することほぼないですから。
(そういう私も国語は現代文全然出来ませんでした。)ここで国語出来たら、理系の人は他を圧倒できます!!

そして、二次試験。理系の方でも、ある一定の大学になると国語入ってきます。
もし、これを読んでいる理系の方で、二次試験に国語あるからと
、上のレベルを諦めている人いるなら、もう少し考え直して欲しいです。
だって、国語(特に現代文)は、筆者の意見をきちんと抑えるということを怠らなければ、
絶対他の受験生に負けないし、逆に、理系科目が多少苦手でも(どの程度かは分かりませんが)国語でカバーできたらマジ勝者です!!東大京大目指して!(誰目線???)


すみません脱線しまくって。最後に、答案用紙が一種の面接シートということを伝えたいです。

これは、国語はもちろんのこと、実は他の科目でも言えることです。
医学部系を除いて、大学入試は面接がありません。まぁ嬉しいことですが、
しかし、ただの試験だけで合格不合格決まるの嫌じゃないですか?
私は少なからず嫌です。だって、自分の志望校への熱意を伝えたいもん笑

そこで登場 解答用紙です!!
国語だったら、「俺という受験生は、こんなにも筆者の主張が読めるし、しかも、設問者の意図も分かります!そして、美しすぎる日本語能力!!こんな生徒欲しくない!?!?」ってアピールできますね笑

数学も、「こんなに論理立てて数学を記述できて、しかも簡潔にものも言える。」とね。

英語だって、「英語長文の理解力ぱなくない!?しかも、英作文なんか、まじネイティブだろ!?」とまぁこんな感じ笑

とりあえず、センター試験は違いますが、二次試験というのは、自分をアピールする披露宴的なものだと私は思います。もちろん、答えが当たっていること大大大前提ですよ!


現代文のことのみのはずが脱線しまくってすみませんでした。
ただ、受験というのは、辛いことです。それをいかに自分で楽に楽にリラックス出来るかがカギです。

ちょっと冷たいけど、逃げてもいいんだからね?


では、これからも頑張ってください。

京都のうぃとげんしゅたいん先輩 哲学カフェ0305

2017-03-04 (Sat) 11:52[ 編集 ]
50も中盤を過ぎようかという齢になると安否確認のメールがちらほら届きます。
だから、久しぶりに連投しています。
生徒には、特に中学1年生の若い人には、読む人を必ず意識して文を書いてください。
と言っているのですが、僕は精一杯の強がりで独白という逃げ道を準備して始めようと思います。

文を認めるという行為にどうも恥がついてきて困ります。
ついの、この前まではそんな感じはなかったのに。
歳のせいかなあ。

沈む太陽は背中で気づかずにある方がいいです。
目の前に向き合う、、、そう言えるのは若さの傲慢。
隠れようとするものには、気づいても気づかないふりをする。
これが大人の嗜みというものでしょう。

誰かにせっつかれて生きているというわけでもないですが
誰かにせっつかれているということで虚空の闇を覗かずに済んでいる気もします。


誰かにとって何者かで居させてもらえる間は、ありがたい「時」の栄光に浸りましょう。


あえて僕らは、ことさらに他者との「間(はざま)」を作ることが必要なんだとつくづく思うことがありました。


先日、北里大学の大石敏広先生にお越しいただいて
http://kerid-web.kitasato-u.ac.jp/Profiles/79/0007844/profile.html
http://clas2016.kitasato-u.websyllabus.jp/node_1285/101
哲学カフェを開いてもらいました。
というか、生徒の試験期間中ということで実際は
濃厚なエスプレッソ状態でありました。。。


ウィトゲンシュタインがどんな人なのかということにはあまり食指は動きません。
ただこう言われたらどうでしょう。

「ウィトゲンシュタインは説得の倫理をやろうとしてたと、僕は解釈してるんです」

僕はかの人が何者であるかには興味がありません。
でもこの言葉を目の前に見た時、そう、言葉を視る。のです。
過去に押し流される音の波ではなく、眼前に世界を留めるのです。


思いがけず
大学生のかつての僕が
そこに座っています。


冬の京都の四畳半で、
音を吸い取るように途切れなく落ち続ける雪が窓向こうにぼんやりと見渡せます。
日本酒とウイスキーのちゃんぽんでカニのように赤くなっている僕が
顔をぽっぽぽっぽさせて、「うぃとげんしゅたいん先輩」の言葉を拾っています。


「なあ、ウエズ~ 大阪のおばはんにさあ、納得してもらうまで説得するのが倫理と思うんや。そこの関係性が大事なんとちゃうかなあ」

黒縁メガネの蝶番にセロハンテープがぐるぐる巻きつけられ、かろうじてその体を保っています。黒いズボンの折り目は一本すっと通ってスッキリしており、テカリが年季を感じさせます。




言葉は雄々しくあるより、つながりを求めてよたよたしているぐらいがちょうどいい。


前者は名詞による固着であり、そこに留まり、「魅(見)せる」という意味では強力です。
だから一つにまとめやすいし、政治的であり、権力との親和性が増す。
後者は名詞を動詞化する「働きかけ」にこそ意味を見出します。
現実から乖離し、独立して言葉はあってはならない。
現実に寄り添わせる不定の関係を請け負う覚悟が「私」に必要になります。


なぜ人を殺してはいけないのか。
かつて巷を賑わせた問です。
答えが本当に必要なのでしょうか?
現実的に意味のある問いかけなのでしょうか?
僕には全く無意味なことに思います。


ここでの人は、考える主体だけを無関係にして成立することはありません。
なぜ私を殺してはいけないのか。
私は考える主体でもあれば他者の眼差しの対象でもあります。
決して観念的的存在なのではなく
具体的肉体をまとった時空間の存在なのです。


悩むことを放棄してはいけません。
それこそ悩みに取り憑かれます。

悩んでいるからこそ、「人」と関われるし、次のステージへ歩をすすめることが出来ます。

困っている人がいるから手を差し伸べることが出来ます。
私の困惑は、ただ私一人を置き去りにします。
困っていることをそう明らかにしてみることで
人の世はたどたどしくではありましょうが、私を仲間にしてくれます。


道徳ジレンマの問題で「トロッコ問題」と言うものがあります。
トロッコとは小型版貨物列車です。

「線路を走っているトロッコが制御不能になった。このままトロッコが進むと線路前方にいる5人の作業員が死んでしまう。このとき現場で、この状況を目撃したAさんは線路を切り替えることのできる転轍機のそばにいた。切り替えれば5人は助かるが、切り替えたほうの線路にいるもう1人の作業員Bさんは死んでしまう。手段は転轍機しかない」


悩みます。
その問から答えを導こうとする限り悩みは増していきます。
しかし
問を設定した設定者自体を思考の対象とした時
得も言えぬ違和感に襲われます。

そもそも
人間を頭数で抽象化していいものなのだろうか。

僕には「その人」= 私 のあらゆる属性を剥ぎ取ることに
現実的な問題の解決はないと思います。

答えを
早く
正確に
導くことに評価を与えてきた教育に問題があると思います。

人間は
共生
協働
の集団ではないのでしょうか。
1 で生まれ生きることは原理的に無理です。
私とあなた(≒私 …… 私のようなあなた)に人間の人間たるゆえんがあると思うのです。


倫理は現実的な問題を考えることで
現代的要請に応えることが出来ると信じています。


そんなことを示唆してくれた
大石先生には感謝しています。


さあ、明日考えることを楽しみましょう。






哲学カフェ